「自称作家」がネットで1番タチ悪くてしょーもないって話
最近アイスにウイスキーを垂らすという行為をしたYouTuberに対して「自称作家」が「それは自分が起源だ」と主張して騒ぎになってるらしい。
そもそもアイスにウイスキーを垂らす行為は大昔からあるもので誰が起源かなんて分からない。(おそらく19世紀のイギリス人かフランス人あたりがやり始めてたんだろう)
まぁ、今回はそんなことを言いたいんじゃなくてネットで「作家」を自称するやつ、大抵気持ち悪い問題について語りたい。
自称作家って本当にネットに多い。
なろうに投稿してるとか、ライターだとか。
しかしながら、そういったアカウントを覗くと成果物について明示されてないのが多い。
まぁ、ライターなら納品していることも多く各種の権利が契約上先方に移ってる場合もあるからそれは仕方ない。
しかしながら、なろうに関してはSNSにリンクを貼らないというのはどう考えてもおかしい。SNSから流入させアクセスを稼ぐというのは現代の基本でもあるうえ、それを自らの意思で拒むメリットも基本的に存在しない。
考えられるのは「実際は何も作っていない、1つも完成していない」ということである。
さて、「作家を自称できる最低のラインはどこか」という問題について考えてみる。
出版している、というのは少しハードルが高すぎる。下書きを書いただけでは何もしていないのと同義だ。
個人的に認められる最下限は「中編以上の作品が完成されており、かつそれを営利非営利を問わず何らかの方法で一般に供されたことがある」と考えてみる。
しかしながらネットにはびこる「自称作家」にはこれを満たしていないケースがかなり多くあるように見受けられる。
そういった奴らを見る限り完成すらしていない奴も多いのではないか。
イラストを書いたことがないイラストレーター
四コマ漫画すら描き終わらない漫画家
バットを持ったことがない野球選手
そんな奴を認められないのと同じように、完成も公開もされていない文章をもって小説家、ライターを自称するのはおかしい。
思うにそういったフェイク野郎が漫画やスポーツではなく小説分野において妙に多いのは小説は「完成物、実績が分かりにくい」ということにあるのでは無いかと邪推する。
例えば漫画やイラストレーターならばTwitterやInstagramに画像をアップロードができる。そしてその画像は眺めるだけなら一瞬だ。そこには断固とした事実が残る。
またスポーツであれば学生時代なら部活動、社会人ならジムとして歴然たる実績が残り、またガチ勢なら段位や大会での順位として序列や確たる情報が付随する。
一方で小説家、文筆家を自称したところで、その事実を一般人がファクトチェックするのは比して時間がかかるうえ、三下にそんな時間を費やすバカはいない。
加えて、参入障壁の低さがこれに拍車をかける。名乗るだけなら誰でも名乗れる状況であり、人生で何も成し遂げられなかった無能やニートが「小説家、文筆家」をただ名乗るだけで自らにアイデンティティが付与された「気」になっているだけだ。
そうやって自分の人生においてもっともやるべきことから目をそらし、何もしていないくせに何者かになった気取りになっているのだ。
せめて自称作家を名乗るのであれば一本の記事、一本の小説を完成させ、公開させてからやれ。
気合いとお前の文章を見せろ。
ちなみに件の自称小説家のアカウントを見に行ったら小説の成果物はパッと見ただけでは見つけられず、Youtubeは500本動画を上げて登録者5000人。内容も単なるサムネ詐欺の中身スカスカだった。馬鹿なことしてないで働け。
(作成時間30分)